(文責・黄金院梶川くん)
父親が他界したのは姉が九つ、私が五つの時でした。
私たち姉弟は二人きりになってしまったのです。
父親が死んだあの夜のことは
今でも不思議な程鮮明に、私の目に焼き付いています。
その後、姉と私の、親戚の間を転々とする生活が始まったのであります。
思えば、ずいぶん辛いことを沢山したように思います。
その都度、私を励まし、勇気づけてくれたのは姉でした。
「挫けちゃいけない、片隅でも、生まれた町で生きていればいいんだ。
そうすれば生まれた町で死ねるんだ」
姉はよくそう言っていました。
私は姉の猛烈な反対を押しきって義務教育が終わると
すぐに東京へ集団就職で出てきました。
東京へ出て16年間の間に、私は5つの工場を転々と致しました。
最後に勤めていたのが化学工場で、臨時雇いでした。
その工場では非常に体に害がある薬品を使っており、
私は体を壊してしまいました。臨時雇いであったために補償もなく、
その時に私は東京で蓄えた金の殆んどを、使い果たしてしまいました。
しかし、私は絶望していませんでした。
まだ、若いのだし、もう一度やりなおせばいいことです。
ただ、無性に寂しかったことも事実です。
あの時も、男の欲望を満たすのが目的で、
旅館にはいったわけではありません。本当です。
誰でもいいから、話をしたかっただけなんです・・・嘘はありません。
東京の片隅でも、自分もこうやって生きているんだということを、
人と確認し合ってみたかったんです。
女の人と束の間でいいから恋人気取りで、
東京の正月を過ごしている夢を見たかっただけなんです。
殺すつもりはありませんでした。
私は女の人の声を傍で聞いていたかったんです。
私に話しかけてくれる、優しい、生きた女の人の声を聞いて、夢を見たかった。
それだけなんです・・・
ここで私が「他に言うことはないのか」と尋ねますから、
みなさんはこれに続く面白い答えを言ってください。
はい、小遊三さん早かった。
|